ノープランNZ旅行記 23日目 其の壱
23日目(2023/1/4)
とりあえず今日はもう一泊するとして、この後どうしたいんだろうか。
いったんクィーンズタウンに戻ろうかなとは思う。むしろ行きたいと思っている。数日泊まろうか。
ふと思う。トレッキングは好きだけど、キャンプは好き?
今日にかけてのテント泊はなんとなく良かったかな。
テントちゃんと建てられて満足だし。虫も、蚊のような、いないし。あとはガスがあればベストだけど。
たぶん、ここから帰る足が決まっていないことが不安、というか面倒?に思っている気がする。
この不安定な状況を抜けたいと。安定、というより安心が欲しい感じもする。
自分の簡単にできるというか、苦労しないというか、自分でコントロールできる状態?
今を楽しもうとしていて、楽しんでる部分もあるんだけど、ヒッチハイクしないと帰れない、
という状況はなかなかすぐに慣れるもんじゃない。とは言え、今はこのマウントクックで過ごすことを楽しみたいし、
帰る時は、流石に歩くのはしんどいから、ヒッチハイクするしかない。
(この日の朝の日記)
この日の朝は4時半頃目が覚めた。
少し寒かったけれどよく眠れた気がする。
昨日寝れなかっただけになおさら。
明るくなってきて、少し周りを歩いてみようと、カメラだけ持って出かけた。
睡眠をしっかり取れたせいか、前日より疲れは少なくなっていた。
ちょうど近くに、トレッキングコースの入り口みたいのがあった。
この辺りをぐるっと回る30分くらいのショートコースだと思い、ふらっと入った。
朝早いから人がほぼいなくて快適。すれ違う人はほぼいない。
ずっと山を見ながら歩いた。
ずっと見ていても飽きない。
このコース、ショートコースだと思いきや、思っていた以上に長そうだった。
まぁでもゆっくり歩きながら行こう、そう思った。
途中、川の脇を歩き橋を渡った。
曇っていたせいか、全体的にグレーな印象だった。
この数日は、色々あったなー、身体的にも内面的にも。と歩きながら思っていた。
NZ来てからもう少しで1ヶ月が経とうとしてる。
気のむくままの旅をしているつもりでも、無理していることがあるかもしれない。疲れもある。
そんなことを思ったから、歩きながら「Well Done Hiroki」と自分で自分を褒めた、心の中で。
そしたら、若い頃の母親が僕の頭を撫でて「すごいねー!」と言っているイメージがふっと頭に浮かんだ。
それと同時に喉が苦しくなって涙が溢れてきた。
なんだこれ?そう思った。
記憶?それとも”そうしてもらいたい”というイメージ?
なぜ涙?単純に嬉しい?忘れていたことへの怒り?悲しみ?
どんなに考えてみても理由が分からない。
ただ、この年生まれた姪っ子への母親の態度を見ていると、
僕が子供の頃に、それこそ3歳くらいまでは、それと同じように褒めてくれたことは間違いなくあるだろう。
だから、もしかしたら記憶の断片だったのかもしれない。
客観的な(僕の目線から見た景色ではない)イメージだったけど。
そんなことがあったので、そのあとはしばらく、というよりこのコースを歩いている時は、気分的に不安定な状態だった。
泣いた直後に、少し前に僕を追い越していったご夫妻が前からやってきた。
彼らは先にメインの観光場所に行ってきたようで「すごい景色だったよ!」言ってきた。
「本当に?!」と僕は応え、すれ違った後、なんかまた泣けてきた。
これもなんだったんだろう。些細なやり取りに幸せを感じたのか嬉しくなったのか。理由は分からなかった。
そしてしばらく行くと、 その”すごい景色”の場所に出た。
確かにすごかった。これまでに見たことのない景色だった。
山に囲まれた小さな湖の中に、大きな雪というか氷の塊がいくつも浮かんでいた。
結果的に2時間?いや、それ以上歩いたと思う。
言うまでもなく、景色はとても素晴らしく、言葉にはしがたいほどのものだった。
なんか不思議な力?雰囲気?がある場所のような気がした。
そしてコースが終わる間際にも、なぜかまた泣きそうになった。
「毎日じゃないけど、朝ランしてるし、運動して体に気を使ってるから疲れないんだよ。
だから、朝イチでも息も切らさずこんな歩けるんだよ」
と自分を褒めた時だった。
2日間、長距離を歩いてくれ、さらにこの日も短くない時間頑張ってくれた僕の足。
今日はこの後ゆっくり休ませてあげたい。
そいうい気持ちもあり、この日もここに泊まることにした。
そして、この日起きたことをすぐにビデオで記録した。
それを忘れたくなかったから。
其の弍へつづく