まだまだ肩書きや他人軸
内観、内省の日々。
「しなければならない」ことが減って、以前よりも自分に向き合う時間が増えている。
しんどいけれど、再スタートにあたっては必要なことだ。
最近も新たな気づきがあったので、ブログに書こうと思う。
一つ目の気づき。お店の常連さんになること、について。
元々常連さんとは、自分が好きだから通い続けた結果なるもの。
でも、自分は「常連さんになること」がいつの間にか目的になっていた気がする。
有名店だったり、昔ながらのお店だったり、友人の友人のお店だったり、、、。
最近ふと思った。
「なぜこんなに通うことに固執・執着しているのだろうか」
その結果出てきた答えが前記したものだった。
これもまた、以前ブログで書いたことと同様、「肩書き」に近いものがある。
そういうものを求めていた気がする。
周りの目や評価を気にしていた(る)なぁと改めて思い始めている。
あと、お店で求めているものがあるように思える。
話したいのだ。たぶん。
いや、話したいというより、自分自身を認知してもらいたいのほうが適切かもしれない。
「僕」という存在を認めてもらいたいような気もしている。
他人からの評価はずっと自身の課題だけれど、こういうところにも現れてきているようだ。
それが悪いことだとは思わないし、自分を否定するつもりはない。
今はそういう自分がいるんだ、ということを認めてあげている。
ただ、少しづつそういう考え方というか価値観を矯正していこうとは思う。
その場にいて自分が本当に心地よいか、もしくは自分が好きな飲食物が置いてあるのか、
これだけを考えて決めていきたい。
余談だが、そもそも足を運ぶ店の数が多い気もしているので、
行くお店自体限定していこうとも思っている(心身ともに疲れるので)。
二つ目の気づき。服の選び方について。
これも”いつしか”的なことだが、好きの対象や買う理由がズレて来ていた。
僕はしばらくの間Engineered Garmentsというブランドの服を好んで着ていた。
今でもそのデザインは好きだ。
ただ、その「好き」やその服を「買う」ことが歪んできていた。
鈴木大器さんという方がEngineered Garmentsのデザイナーで、大器さんのデザインが好きだ。
僕が初めて大器さんのデザインした服と出会ったのは、そのEngineered Garmentsの服ではなく
Woolrich Woolen Millsというブランドで大器さんがデザインした服だった。
その服は使っている素材やつくり、デザインにこだわりがある、と今でも感じている。
(お店の方に勧めてもらったもので、それを本当に好きで買ったのかどうかというのは置いておき)
後に、大器さんがEngineered Garmentsというブランドのデザインをしていることを知り、
その服を買うようになった。
でも気づけば、デザイン云々よりも
”Engineered Garments”というブランドの服を買うことに目的が変わっていた。
そして、買った服をインスタへ投稿して「いいね」をもらうことに喜びを感じるようになっていた。
よくある典型的なパターンだ(笑)
今大掛かりな断捨離をしているけれど、Engineerd Garmentsの服はほぼ手放している。
というか、持っている服自体のほとんどを手放し中だ。
そもそも本当に好きで買ったのかどうかよく分からないからだ。
(それはこれまで他人軸で生きて来たということが理由としてある:詳しくはここに書いている)
洋服を含めて身の回りにあるものをほぼ一旦手放して、
本当に自分が好きだと思えるものを見つけていこうと思っている。
ちなみに今、ジョシュア・ベッカーの「より少ない生き方 ものを手放して豊かになる」
という本を読んでいる。
今回書いたような気づきも、きっと油断するとまた元の考え方に戻ってしまうと思う。
それくらい、長い間染み付いてきた思考だから。
なので、
「気持ちいいか」「心地よいか」
ということは都度自分に問いかけていきたい。
働き方や生き方についての具体的な投稿はもうしばらく先になりそうだけれど、
それを「投稿」することが目的にすり替わらないように今はしっかりと自分に向き合っていく。