おっさんの語学留学日記:英語を話すこととは
気付けば7月も8日。NZは絶賛冬だけれど、晴れの日の日中は暖かくて気持ち良い。
英語の勉強、話す練習をしていての気づき。
英語を話せるかどうかというのは、英語の知識、グラマーや語彙力はもちろんだけれど、
それ以外の部分の影響が結構大きいのではないか、と思っている。
それは「自信」や「恐れない」という気持ち。
たぶんそれらを得たり乗り越えるだけで、それなりにコミュニケーションは取れると思う。
あとは、自分の満足度によって勉強量を増やすかどうかだけ、そんな気がしている。
今は学校に通っているので、そこは”練習の場”としている。
どんなに間違っても良いし、分からないことは聞きまくる。
良い意味で使えるものは最大限活用していると思う。
一方で、学校が終わったらできるだけ地域の人と話したり交流したりするようにしている。
学校の外は”本番の場”だから、学んだことをできるだけ使うようにする。
日本じゃないからできること。
一方で、学校でもそうだけれど、些細な会話の中で分からないことはできるだけメモしたり後で調べてみたりする。
ネイティブの人が何気なく使っている単語やフレーズを知ることは、そのまま自分が話すことにつながると思うから。
もちろん学校で友人や仲間を作りたいから、興味のあるイベントやアクティビティには参加するし、
休み時間に話すことも自分なりに心がけている。あくまでも自分のペースで。
正直なところ目に見えている変化はとても小さく、何度もというか、しょっちゅうくじけたり諦めを感じる事がある。
でもそこは「全然まだ2ヶ月だし」と思うようにして毎日できることをしている。全力で。焦らずに。
クラスにとても英語の流暢な16歳の子がいる。
「どうやって英語を勉強したのか?」と聞くと、「数学や複数の教科を英語で学んできた」とのこと。
しかも5年間。さらにそれ以前にもプライベートレッスンをしていたらしい。
そりゃぁ流暢になるよねーと思う。
今はインドでも英語で全ての教科を勉強していると聞いた事がある。
要は、それくらいしないと流暢にはなれないのだと思う。
先日まで俺のホームステイ先でショートステイをしていたスペインの女性もとても英語が堪能だったけれど、
彼女も確かアメリカ?かどこかで全てを英語でやりくりする生活を送っていたし、
映画のセリフや音楽の歌詞からもたくさん勉強したみたいだった。
英語が話せる人はそれなりの努力をしてきていると思う。見えていないだけで。
英語だけじゃなくてなんでもそうだろうけど。
だから今は俺にとってはそれをする時期。努力する時期。その時期には苦痛が伴う。
慣れないことを始める時には大抵苦痛が伴うけれど、それを乗り越えれば別の世界が見えるはず。
今はそれを信じて、毎日できることをスモールステップでやっていく。
「Little by Little」でこれからもやっていく。
ホストファミリーに編み物を教わり、編み物も楽しんでいる毎日。
今は姪っ子ちゃんへのスリッパを編んでいるけれど、今日明日にはそれも終わりそうだから、
そのあとは自分用のベストを編む予定。