大切なことを見逃さないために
一週間の断捨離で相当エネルギーを消費しているけれど、
この事だけはすぐに書いておきたいと思ってブログを書いている。
断捨離の最中に一通の手紙を見つけた。
小さいけれど便箋で4枚も書いてある。
誰からだったっけ?と思って読んでみると、昔の職場の後輩だった。
彼女が異動で他社に出向する時にくれたものだった。
そこにはこう書かれていた。
「どんな時にも必ず助け舟を出してもらえて、私の中でのHIROHIROさんへの信頼感が時間と共に確かなものになっていって、安心して今日までやってこれました」
「マイナススタート地点にいた私がここまでできるようになったのも、”この仕事無理”って後ろを振り返ってもすぐまた前を向いて会社に来れたのも、みんなHIROHIROさんのおかげです」
彼女は仕事中に泣かせてしまったことがあったのだけれど、今思い返してみると悔しくて泣いていたのかもしれない、と手紙を読んでいて思った。
そして、ここまで自分が感謝されていたのかと、改めて嬉しく思うし自分で少し驚いてしまった。
もちろん手紙をもらった時に読んではいるのだけれど、
その時の感情は忘れてしまったし(もちろん嬉しい気持ちはあったはず)、
間違いなく今とは違う感情であった気がしている。
そして彼女から見た僕のことを書いていた。
「HIROHIROさんは私の目から見て、頭の回転が高速で、気を遣いすぎるくらい周りに気を遣って、見たもの聞いたことを吸収して自分のものにするのがすごく上手で、繊細な性格だからこそ人の気持ちを察知して動ける人です。私にはないステキなモノをいっぱい持っています。」
こんなありがたい、嬉しい言葉をかつて僕に言ってくれた人がいただろうか?
親からも(親だからこそかもしれない)こんなことは言われたことない。
手紙を読み返して僕は泣いてしまった。
なぜなら、書いてくれていることは僕自身が自覚している特徴ではあるけれど、
人様に褒められるほどのことだというふうには考えていなかったからだ。
でも、この自分の特徴はステキなことで自信を持っていいことだと強く思った。
昨年から本当に少しずつ深化して本来の自分に還ってきてはいるけれど、
10年以上前に書いてくれているこの僕の特徴は確かに今でも自分の一部であって、
それは僕自身が誇りに思っていいことなんだなと今は思える。
周囲の目や日々の仕事の忙しさに忙殺され、
余計なことや無駄なことに思考を奪われていたから、
自分にとって本当に大切なものを見落としていたように思う。
今している断捨離もその一つだが、これからは周辺のノイズをできる限り減らして、
こういう自分にとって大切なものを見落とさないようにしていこうと思う。
過去を振り返った時にも思ったことだけれど(ここに書いています)、
僕のことをよく思ってくれた人達に十分なお礼ができていないと思っている。
彼女と最後に連絡を取り合ったのは、確か結婚するという連絡があった時。
これからの人生の中で彼女に会う機会がもしあれば、改めて心からのお礼を伝えたい。
追伸:
最後に、彼女と共通で好きなことで盛り上がったバンド、VINESの僕が一番好きな曲を紹介したい。
VINESのボーカルはアスペルガー症候群という特徴を持っている。