生きる意味
昨日、今月で退去するシェアハウスの送別会をしてもらった。
楽しい時間でお酒を飲みすぎて最後の方は記憶がない笑
僕は緊張したり楽しかったりするとお酒を飲み過ぎてしまう。
今日書きたいのは、生きているだけで良いんだな、ということ。
以前別のブログで書いたCOTENラジオで「存在しているだけで影響がある」ということを言っていた。
まさにそうだなと思うようなことを、今朝体感した。
シェアハウスの大家さんには子供さんがおられるのだけれど、その子から手紙をもらった。
昨日の送別会の席にもいてくれた。
(送別会の翌日にここまで書いたけど二日酔いで力尽きた笑)
小学生低学年の息子さんはとてもシャイな子で、慣れない大人の前ではほとんど話さない。
僕は3回ほどしか面識がなく、ようやく認識してもらったくらい。
それくらいの仲なのだけれど、送別会がとても楽しかったらしく、さらに僕が10月で退去すること、
しばらく海外に渡航することを知ると、その日のうちに手紙を書くと言ったそう。
内容も嬉しかったけれど、手紙をもらった時点でとても嬉しくて泣いてしまった。
なぜ泣いたかというと、これまで色々なことがあった自分を全て肯定されたように思えたから。
子供は外からの情報のインプットが少なく、自分に正直だと思う。
だから嫌なモノは嫌、好きなモノは好き、がはっきりしている。
かくいうその子も、前述した通り人によっては会合にすら参加しないとのこと。
そういう子が「楽しい」と言ってくれたことが何よりも嬉しく、しかも手紙まで。
この体験で「素のままの自分で生きているだけでいいんだな」と思えた。
会に参加してくれた大家さんや同居人の方も楽しかったと言ってくれたことも、嬉しかった。
会社勤めで仕事ばかりしていると否定されることも多く、自分に自信を持ちづらいし生きている意味も失いがちになる。
でもこういう些細なことで、自分の存在を肯定することができた気がする。
シェアハウスには2ヶ月しかいなかったけれど、とても良い時間が過ごせた。