昨日、今進めている申請のために、久しぶりに学校へ行った。
そこで、こちらも久しぶりに”緊張する自分”になった。
昨日学校へ行った時は、授業が終わってから1時間ほど経っていたので、生徒はほぼいなかった。
受付の人と会話をしていた時、たまたま近くを通った生徒達のことを意識してしまい、その瞬間だけ会話の内容が頭に入っていなかった。
彼らの方を目で見ることはなかったけど、完全に意識がそちらに向いてた。
そして、その時くらいから若干落ち着きを失った気がする。
その後、お世話になった先生が来たので話をした。
ここ最近の自分、ホームステイ先や外で話す自分と比べると、少し緊張をしているのがわかった。
ただ違うと思えたのは、身体の緊張はあっても、頭に感じる緊張は無かったということ。
これは大きな変化だと思う。
だから、これまでと比べて全く変化が無いわけじゃないと思う。
今の僕にはまだ”学校”という存在が何か”不安”を感じる場所なのかもしれない。
「そうなのかもしれないね」
ただ自分の感覚を俯瞰して、というか自分の感覚に寄り添ってあげた。
そして今朝、再度学校に行った。やるべきことを昨日完了できなかったから。
生徒も先生もたくさんいたけれど、昨日に比べると落ち着いていたと思う。
そして、移民局への確認をする必要が出てきたので電話をしたけれど、その時は全くもって落ち着いていた。
元々、新しい場所や人に臆することはない。
ただ、一旦知ってしまった人達の”集団”はいまだに苦手だ。
そして前述した通り、おそらく、自分の過去に起きた”学校”での生活が、思っている以上に影響があるのかもな、と改めて思った。
そういうふうに”思い込もう”としているだけかもしれないけれど。
ただ、どういう局面で緊張するのか、というのを振り返って考えてみたときに、今はその答えに辿り着く。
いずれにしても、今自分の身体に感じる感覚が今の僕であり、理由が分からなくても問題ない。
今はただ、そういう自分も認めて寄り添ってあげる。それが一番大事なこと。
そして、今自分で英語で申請準備の対応とかしていることがすごいことだと思うから、そのことを褒めてあげる。
それが、僕にとってさらに大切なこと。