Manga/Anime Recommendation : 鬼滅の刃
鬼滅の刃。
世間的にもブレイクした漫画。
僕が初めてこの作品に触れたのは、3年くらい前にアニメを見た時。
最初はアニメのクオリティの高さもあって「すごい」と思ったけれど、次第にその世界観に引き込まれた。
すぐに漫画を買い(当時は19巻まで出ていた)全て読んだ。
その後、アニメは3回くらい観て、漫画も3〜4回は読んだ。
今回、以前NARUTOの紹介でしたような、「このセリフはやばい」というのを拾うためにも、
改めて今の自分の感性で読んでみようと読み返し終わったので、ブログに書こうと思う。
親方様が天元にかけた言葉
自分を形成する幼少期に植え込まれた価値観を否定しながら
戦いの場に身を置き続けるのは苦しいことだ
様々な矛盾や葛藤を抱えながら君は
君たちは
それでも前を向き戦ってくれるんだね
刷り込まれた価値観に抗って生きることの辛さを、このセリフは言っていると感じた。
まさしくその通りで、自分が「当たり前」と思っていることに逆らって行動することは、とてもしんどいと思う。
自分がそう体感している。
でも、親や学校から受けた価値観であっても、自分が違和感を感じるのであれば、それに従うべき、
と今は思えるようになってきてる。
なかなかすぐには変えられないけれど、自分の違和感を無視せず生きていくことは大事なことだと思う。
ねづこが炭治郎に行った言葉
どうしていつも謝るの?
精一杯頑張っても駄目だったんだから仕方ないじゃない
人間なんだから
誰でも・・・何でも思い通りにはいかないわ
幸せかどうかは自分で決める
大切なのは”今”なんだよ
これはもうそのまんま。
言えることは
「自分ができることを精一杯やりきること」
それに尽きると思う。
やれることをやり切れば、結果がどうであれ後悔はしないし、良い方向に向かえると思う。
言うは易しかもしれないけれど、出来るだけこういうマインドで何事も、
特にやりたいと思うことはやっていけると良いなと思う。
炭治郎が無一郎にかける言葉
人のためにすることは
巡り巡って自分のためになる
愈史郎が獪岳の死に際にかける言葉
人に与えない者は
いずれ人から何も貰えなくなる
欲しがるばかりの奴は
結局何も持っていないのと同じ
同じような内容のこのセリフ。
仕事が忙しかったりすると、どうしても自分で手一杯になってしまって、人のことまで手が回らない。
この唯物的社会においても、自分だけで独占したいという考えも多いと思う。
僕自身もこれまではそうだった。
でも、自分を第一に考えるで良いのだけれど、人のために与える余裕を持てるほうが
自分の気持ち的にも豊かになると思う。
僕自身、忙しい仕事から離れたことでイライラすることも減って、
周りに対して以前より寛容な気持ちになれてきている。
あとは、自分に対してもっと優しくなることで、より人に与える余裕も出てくるのかな、と今は思っている。
蜜璃が自分を偽った時の気持ち
私が私のままできること
人の役に立てることあるんじゃ無いかな?
私のままの私が居られる場所ってこの世にないの?
こう思っている人が大多数なんじゃないだろうか。
こう思っていなくても、自分を偽って自分を押さえて生きている人がほとんどだと思う。
僕自身もそうだったし、今でもまだそういう感覚はある。
まだ人に嫌われることが怖い部分もあるし、「どう見られるか」を意識しないことはない。
人は植物などと違って動ける生き物だから、
自分が「ここにいると心地よくない」と思えば、いくらでも移動することができる、
と何かで読んだ。
僕はストレスを抱えながら生きるのは嫌だと思い、
自分と合わない人と付き合っていくことはやめよう、
したくないことをやらない環境に身を置こう、
と思って会社を辞めた。
これだけの人がいてコミュニティがあって、今は海外にもいける状況で、
心地よくないと思う場所に留まるということをしなくても良いよな、
と思ったから。
シンプルに、自分が自分のままでいれて心地よい場所に居て生活すれば、
良い人生を送れるだろうと思う。
大変なことももちろんあると思うけれど、嫌なことをやるストレスに比べたら、
頑張れるんじゃないかと。
それは僕自信これから体感していきたいと思っている。
善逸が獪岳に対して思っていること
どんな時もあんたからは不満の音がしてた
心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてるんだ
どんどん幸せが零れていく
その穴に早く気づいて塞がなきゃ
満たされることはない
これも昔の自分だなぁと思う。
周囲に対して不満ばかり言っていた。
僕の場合はメンタル的な余裕がなかったこともあって、昔の会社でお世話になった人に対する感謝も、
当時は気付けていなかった。
今になって、してくれたこと、言ってくれたことに対する有り難みを感じている。
自分も承認欲求がすごくて、今でもまだある。
ただ、最終的には自分で自分のことを認めてあげられないと、セリフのような箱の穴は塞がらないように思える。
だから、以前も書いたけど、今は自分に寄り添って労ってあげることが大事だと思っている。
以前、鬼滅の刃について次のような考察をした。
鬼滅の刃で登場する鬼は現代人の象徴ではないだろうか、
というのが僕の考えです*。
(*ネットで調べていないので分かりませんが、他の方も同じような考えを持たれているかもしれません。その上でこのように書かせてもらっていること、ご了承ください。)
設定としては、かつては良い心を持っていた人が、
鬼(鬼舞辻無惨)の血を得ることで人を喰らう鬼になります。
はじめから鬼で生まれてくることはありません。ヒトは、周りの環境や情報の影響を受けて、
人格が形成されると僕は思っています。
生まれながらに悪人という人はいないわけで。
もちろん、生まれ持ったパーソナリティも、
人格形成には関与すると思います。現代の悪しき環境や情報によって、
本来人が持つ良い心を失った(というか忘れてしまった)状態が、
鬼なのではないでしょうか。一方、主人公竈門炭治郎の妹、禰豆子は、
人は変われる、本来の自分に還れることの象徴ではないのかなと思います。鬼になってしまった禰豆子は、人を喰らうという欲望に耐え
(厳密には初めから人は喰わず、興奮して涎を垂らすだけ)、
少しずつ人間らしさが戻っていきます。
そして最終的には、人間に戻ることができました。つまり、目の前の、一時の欲望に耐え続ければ、
本来の人間らしさが取り戻せるんだよ、
という事を現しているのではないでしょうか。今で言えば、性能は変わらないのに高価なものを買うとか、
もしくは高価なものを食べるとか、そういうところの欲望かなと。
いわゆる物欲ですかね。
他にも「周りからよく見られたい」欲などもそうなのかなと。鬼滅の刃には「本当に人が大切にするもの」は何か、
というメッセージが込められている気がしています。
こういうふうに思えるから、引き込まれるのかななんて思ったりする。
かなり長くなったけれど、それだけこの漫画は読んでいて得るものがあるんだろうなと改めて思う。
読んでいる人も多いと思うけれど、新たな気持ちで読んでみるとまた入ってくる感覚も違うと思うので、
よければ読んでみて欲しいです。