ノープランNZ旅行記 39日目 其の弍
そんなことを考え、しばらく歩いていくと、ガイドブックに載っているレストランがあった。
ランチもやってそうだから、ここでランチを食べたいなと思い始めた。
当初、向かっていたオーガニックショップで野菜と果物を買ってそれですまそうと思ったけど、方向転換した(気が散っているかもだけど笑)。
ただ、オーガニックショップへは結局行くことにした。
この日は特にすることもなかったし、とりあえず歩くならそこに向かおうと思って。
しばらく歩くと公園に着いた。メモリアルと書いてあったから何かの記念公園だろう。
途中、海辺に下りれたので少しだけ海に入った。Motuekaの海よりは冷たく感じた。
その近くのベンチで、また少しだけ座って海を見ていた。 何を考えていたっけ。また不安なこととかかな。
そこに長居はせず、また歩き始めた。
公園の出口に向かっているとバンが2台止まっていて、一台の迷彩柄のバンの中から音楽が聞こえていた。
後ろのドアが開いていたから中を見ようかと思ったけどやめた。
人の家を覗くようだったし、自分がそうやって気にするから、周りが自分を見てると思うんだよな、とも思い。
一方で、バン生活は良いなーと思った。
京都の家を出たらバン生活もありかもと思ったけど、すぐのタイミングではないかな、とも思った。
しばらく行くと片道数車線もある広い道路へ出た。
都会っぽいなーと思って少しだけテンションが下がった。
こういう風景はやっぱり好きではないな、と感じた。
さらに歩いていき、オーガニックショップに着いた。
昨日は来なくて良かったかも、となんとなく思った。結構遠かったから。
すぐに食べようと思った果物と野菜を買い、興味のあったローフードクラッカーを買った。
2種類買ったのは買い過ぎたと思ったけど、今回はいっかと思った。
胡桃と他のナッツを買おうと思ったけど、NZ産でないのがほとんどなのと、ドライフルーツも輸入品だったから、悩んだけど買うのやめた。
出来るだけ地産のものを買いたいと思ったから。
あと、明日から行くマウントタウランガのオーガニックショップにもあるかもだし。
今買わなくても良いなと。すぐに食べないし。
ターメリックとマヌカハニーとジンジャーという体に良さそうなドリンクも購入した。
Immunity と書いてあって調べたら免疫、らしい。
ネルソンのヴィーガンカフェで飲んだお茶も確かImmunity teaだった。また一つ学び。
買い物後、果物と野菜を食べながら歩いた。
りんごのヘタはそこらへんに捨てた。最近はだいたいそうしてる。そこら辺といっても、草木があるところ。
タウランガに来て思ったこと、すれ違っても挨拶や笑顔交わす人が少ないこと。
ネルソンでミートアップをした時に、北島と南島と人の感じが違うという話をしていたことを思い出した。
確かに違うかも、と思う一方で、南島の方が好きかも、と思った。
自分の中ではクイーンズタウンやグレノーキー。ネルソンも。
ただ、公園近くですれ違ったおばちゃんが挨拶してくれた。
挨拶しないなら俺がすればいいじゃん!と思ったけど、なかなかすぐにはできない(笑)
そんなもん。
公園に着いてベンチに座り、買ってきたImmunityドリンクを飲んだ。
行く時よりもかなり海の潮が引いていた。ここはそういうタイムラグなのか、と思った。
Marahau は早朝でも引いていたから。
この時は10時くらいだったかな。行く時は9時過ぎとか半前とか。
しばらくベンチでぼーっとしてたら。
カモメみたいな、こちらでよく見る海鳥がたくさんいた。
子供の鳥もいた。ネルソンの街中で見たのと同じ感じ。
大人と違って目は黒目。身体が丸っこくて、なんとなくまだ飛ぶのが上手くない。
そして、常にピーピー鳴いている。
自分の親、子の認識できるのかな、なんて思いながら見ていた。
ただ、子供は親鳥なのか大人の鳥に寄り添うんだけど、大人の鳥はけっこうそっけない。
スズメの親子はクイーンズタウンでみたけど、頻繁に食べ物をあげていた。
まぁ、鳥も同じように見えて種類や個体差あるんだろな、と思った。
公園では犬の散歩している人が結構いた。
その一頭が、リード紐から解き放されて自由に全力で駆け回る犬を見て、なぜか涙ぐんでいた。
なぜだろう?拘束から解放されて自由になった姿を見たから?自分に重ねた?
自分でもよくわからなかった。
飲んだものを捨てるついでに、ゴミ箱から溢れたゴミとベンチに置きっぱなだったゴミも捨てた。
クイーンズタウンでも、落ちているゴミを全てではないけど拾ってゴミ箱へ捨てた。
日本ではしたこと無かったけど、なぜかこちらでゴミを拾おうという気持ちになった。
渡航前に比叡山に行った時も、少しだけゴミを拾った。
唯識論の本を読んだ時、筆者が「ゴミを拾うことは自分の心もキレイにすること」みたいなことを書いていた。
自分の目から入る写像をきれいにするってことで。
誰のためでもなく自分の気持ちのために。
その考えがなんだかとても新鮮だった。
気になる時はゴミを拾おう、そんなマインドになってきたのかも。
数日前にMotuekaで見たゴミを拾うおじさんの影響もあるかもしれない。
そして、ゴミであぶれるゴミ箱をみると残念な気持ちになった。
ゴミはどうしても出るし、どこの国だって完璧では無いよな、と思った。全然マシだと思うけどNZは。
其の参へ続く