人と居ることによる気づきと気づかされ
ドイツ・フランスでの友人の買い付けお手伝い、
最初は楽しかったし今も楽しいことが日々あるけど、10日くらい経ってきてモヤっと感が出てきた。
なぜか、と考えてみた時に、
・自分の時間がほぼ取れない
・自分のリズムで生活できないし、食事も取れない(できるだけオーガニック、かつ、肉はほぼ食べないことは事前に伝え、理解してくれて100%でなくても付き合ってはもらえている)
・友人が喫煙者でタバコを吸う時間を取られる、かつ、ポイ捨てをする姿を見ることにストレスを感じる(現地の人がそうしているからしている感じ)
ということがありそうだと自己分析した。
手伝うことは良いけど、少しずつ「使われてる」という感情が出てきてしまっていることに気づいた。
会社員の時みたいに。
この気付きは自分の中では大きく、気づけて良かったと思う。
人のために何かをしたいとは思うけど、自分も本気でやりたい事でないとダメだって事。
だから「自分が心の底から楽しめてやりたい事」をやることはとても大事だと改めて思った。
今回の買い付けは方向性はあるけれど基本的にノープラン。
僕が
「自分がしたいことをして、買いたいものを買えば良い」「流れで行こう」
ということが友人にとっては後押しになってくれているらしく、
今回の買い付けは既にとても良いものになっていて、
彼の今後にとって間違いなくターニングポイントだと、
僕が一緒に回れて本当に良かったと言ってくれた。
ほぼ毎日深い話もできているし。
「また一緒に買い付けに行って欲しい」とも友人は言ってくれた。
それは本当にありがたいし、嬉しい言葉だ。
ただ、僕にとって少なくとも今は、やりたいことでは無く自分が主人公になっていないことがストレスに感じている。
客観的に見てそう思う。
この文章を書き始めてからすぐ後に、移動中の車中で「無理してない?」と聞かれた。
「食生活のこととかストレスになっていないか気になってる」と。
冒頭に書いていたことを思いはじめていたので、
「今のタイミングかも」と思って素直に思っていることを伝えた。
本当は旅の最後に言おうと思っていたけど。
友人は、かつて自分も先輩とかとの買い付けで同じような経験をしたから
僕の気持ちとかよく分かるし、だからこそ気にしていたのだそう。
また前日に
「次回、半年後くらいに買い付けをしたい。できればその時同行してもらえたら嬉しい」
と友人から言われた際に、僕は
「今とは状況が異なっているし、金銭的な面も含めて同じようにはできない。
自分のこと、自分のために時間を使うことを一番に考えたい。」
ということを伝えた。
その発言の強さに「怒りに似たものを感じた」と友人は言っていて、
そのことからも僕の今回の旅のストレスを気にしてくれていたとのこと。
事実、1週間から10日くらいであれば、生活の乱れとかも含めて耐えられるとは思ったけど、
それ以上は無理だと思ったから、そのことをその場で伝えた。
ただ、友人との買い付けという行為が嫌なのではなくて、
自分のために自分の時間が使えないことであれば、どんなことでもそういう感覚になる、ということも伝えた。
事実、友人との買い付けは楽しい部分があるから。
数日前にも友人にある指摘を受けた。
「時々壁ができて怖い。とても気を遣ってしまう。」と。
確かにそれも思い当たるところがあった。
時々自炊で料理したのだけど、その時や皿を洗った時に、僕から自主的にやったのにも関わらず、
お礼を言われない事に少しイラッとしてしまった自分がいた。
でも数日後「ホント、つまらないことで自分イラッとしてるな」と思い、その感情は捨てたところだった。
確かに僕はまだ壁を作るところがある。顔にも態度にもそれが現れる。
そうなるタイミングを内観してみると、結構なところで自分が遠慮していたり、
自分の気持ちをはっきり伝えていないことだということに気づいた。
「自分で自分の首を絞めているよね」
友人に言われて、その通りだと思った。
さらに友人に言われたのが、鋭利な切り返しをされる的なこと。
これもその通りで、自分が我慢して思い通りにならない時とかに壁を作って、
対応もそっけなくなり返す言葉も辛辣になりがちだ。
彼の経験上、優しい人ほど、自分が傷つくのを恐れて攻撃的になる人が多い、とのこと。
「傷つくことへの恐れがあるんじゃないか」と言われた。確かにその通りだと思った。
友人とは20年前くらいにバイト先で出会ったのだけれど、京都へ引っ越す前まで疎遠になっていた。
引っ越すときに7年ぶりくらいに連絡をして久しぶりに会ってから、今回の買い付けの流れになった。
でも、ほぼ毎日いろいろな話をしていて、お互いに思うところも言い合って、とても良い関係だと思っている。
彼自身もそう言ってくれている。
その後も友人といろいろな話をしている。
壁を作ってしまったり、イラッとしてしまう自分を変えたいという僕に対して友人は
「変える必要ある?長年染みついたものをすぐに変えるのは難しいよ」と言った。
「そういう自分がいてもいいと思うし、そういうところが出てこなくなるようなところに身を置けばいい」
というようなことも言ってくれた。
確かにそうだなと思った。
自分が心地よい場所、環境に身を置くことで自然とそういう自分が出なくなり、
気づいたら「そういえばあの自分は出てこないな」くらいになれば良いのかなと。
そうなれる場所がホームプレイスなのかなと。
少なくとも、今は海外に身を置いてみて、心地よくいられるかどうか実験してみることが僕にとって一番かなと思う。
ただ今回のヨーロッパも海外にいることには変わりないので、海外でも自分がどう過ごすか、
どういう環境に身を置くかということは、大切なことかなと今は思う。
NZでは基本的には一人で自分の内面に向き合ってきた。
でも、今回の旅では親しい対人間関係的な自分の感情に気づいた、というか気づかさせてもらった気がしている。
40年以上やってきた”自分”はすぐには変われない。
気長に向き合っていこうとも思う。
今回の旅を経て、自分の中でまた少し変化がありそうだ。
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