ノープランNZ旅行記 18日目 其の弍
下山後、バスまでの時間があるから日記を書いていたら、素敵ご夫妻に声をかけられた。
この人達も僕と同じ日程で歩いていた。
奥さんは気遣いしてくれる人、とういう僕の勝手な理解(笑)
山小屋での行動を見ていて、そう感じた。
「車に乗って行かない?」
と彼らに言われた。グレノーキーまで行くから乗せていってくれるとのこと。
悩んだけど、割と早く「Yes!」と言った。
というのも、バスの予約をしていたから。
バスをキャンセルしようかどうしようかと考えたけど「流れでいっとこ」と思い、とりあえず乗せてもらうことにした。
(結局後からバス会社にお詫びのメールをした)
下山後の駐車場にはおっとりご夫妻もいて、僕らの車の去り際に向こうも気づいて、別れ際に手を振った。
グレノーキーへ向かう車中、二人と色々な話をした。
「今後英語を勉強したい」と言った時に旦那さんは
「君の英語は上手だよ、僕の日本語よりも全然」的なことを言ってくれた。
僕は自分の英語は片言だと思っていたので、嬉しく思った。
聞けば、奥さんは日本に行ったことあるという。
熊谷の家にお世話になってたらしい。京都にも行ったことあるとのこと。
なんか嬉しくて、自分も京都に住んでると思わず言った。
こうやって話したり、ましてや日本のこと話せるのは嬉しいと思った。
旦那さんは、トレッキングのことも話してくれた。彼のおすすめのTrackとか。
なんかこういう、人と交流のある旅はいいなって改めて思った。
山小屋での出会いは、本当に良かったなと今でも思う。
最初は疎外感を感じてたけど、そう勝手に思おうとしていたのは自分かも、と思う。
グレノーキーまで送ってもらい、以前泊まったホテルに向かった。
前回会った日本人のお姉さんが今日も働いていて、なんかホッとした。
年越しをここで迎えることに決め、この日と翌日の2泊泊まることにした。
日本的な年末感が全然無い(笑)と思った。
グレノーキーへ向かう車の中で「新年はどんな感じで過ごすの?」と聞いたら「リラックスする」と言っていた。
クリケットがどうとかと言っていた気がしたけど、ちょっとよく分からず。
ニュージーランドっぽい過ごし方をしたいと考えていたのだけれど、
「この場所の流れに任せて年越しをしよう」と思った。
部屋に荷物を置いて、4日ぶりのビールと食事をホテル併設のカフェでした。
感無量。。。
この日は野菜メインの料理を頼んだけど足りず、フリッター的なものもたのんだ。
ビールも二杯飲んだ。それでもまだ満たされず(苦笑)、近くのお店でチェリータルトを食べ、ビールを買って湖の脇で飲んだ。
Greenstoneへ行った直後の、この時に思ったこと。
「今回の旅での、少なくとも今の時点では一番最高というか、自分にとって良い経験になった。」
”終わった今どう感じているか?”
「達成感はもちろん、終わり間際に感じた寂しさ、人の温かみ。
マイペースでやること焦らずにやることでも良いということ。むしろそれによって得られるものがある。
自分の思い込み的前提条件(外国人だから…とか)の多さや、悪いイメージをすぐにしてしまう癖。
そして、しばらくはトレッキングはいいかなと思っていること。少し疲れたから。
もちろん、Rees Dart Trackはいつか挑戦したい。
今回の滞在期間でももちろん経験やタイミングが合えばとは思うけど、次回来る時でも良いと思ってる。」
人を見た目でジャッジしてしまう癖、これは今後ジャッジしてしまった時に「そうかもしれないね、でもそうじゃないよ」を今後は付け加えるようにしたい。と思った。
すぐに癖は治せないけど、少しずつ矯正はできるはずだ、と。
無理して人と常に話さなくても良いし、それによって人が離れていくこともない。
この時、ある人の動画を見た。
”過去との決別、幸せになる決意、人のために生きない”
すごく衝撃というか、良い影響をこのタイミングでもらえたような気がする。
俺の場合、同じように人のために生きない、ということもそうだけど、何より「傷つくことを恐れていること」からの脱却ではなかろうか。
頭では分かっている、万人に好かれる必要は無いと。でも身体が反応してしまう。
少し話が逸れたけど、Greenstoneを歩いたことで、そこで会った人とのやり取りを通じて、改めて自分の癖みたいなものが分かってきたかもしれない。
勇気を持って大海原へ飛び込んでみる、か。
あと今回Greenstone Track、そしてRouteburn Trackを歩いていて思ったこと。
リアルで、自分の目で見たものを表現することはとても難しい、ということ。
どんなに写真やビデオの性能が良くても、リアルに勝るものはない。
これを痛感した。
19日目につづく(帰国まであと57日くらい)