友人とは

思ったことを記録しておく。

いつの頃からか、友人の作り方を忘れていたような気がする。

音楽でつながった友人達と知り合ったのは30歳を過ぎてからで、比較的最近の話だ。

だから、友人ができない、というわけではない。

ただその時は、はじめから「音楽」という共通項があることが分かっていた。

だから、友達になるのもすぐだったし、何の疑問を持つこともなかった。

ただ一方で、そういう共通項がない日々の生活の中から友人を作る、

というよりも、周囲の人がどうやって友人になるのか、

(うまく言語化できない。)

自然な流れで友達になっていく、そういう感覚を忘れてたように思う。

周囲の人に対して警戒網を張り、壁を作って誰も近づけさせない。

そうしていれば安全だから。自分が傷つくことも苦しむこともない。

でも、結果的にそうしていても自分は傷つくし、苦しむ。

なぜなら、自分自身が自分を攻撃するから。

攻撃というのは自己否定するということ。

だからこそ、今僕に必要なのは、そういう壁を取っ払うこと。

素直になること。猜疑心を持たないこと。言ってみれば、竈門炭治郎みたな感じだろう(笑)

この2週間、ホームステイ先に別の語学留学生が同じくホームステイをしていた。

彼は”今の”僕とは違って、積極的に話しかけてきてくれた。

それは嬉しくもあり、楽しくもあった。

なぜなら、本来僕は話すことが好きだと思うから。

以前、「自分のことを話すのが好きですね」と言われたことがあるし、ある程度自覚もしている。

自分の話にすぐ持って行こうとするから。

そして、そのことが自分の中では嫌な部分に思っていた。

なぜなら、僕の父親がそうだから。人の話はあまり聞かず、自分の話しかしないから。

でも、それも含めて今は認めてあげようとは思っている。

そうすることには理由があるし、「見てほしい」「聞いてほしい」との気持ちが強いのだと思う。

きっと、心のどこかで寂しさを感じているのかもしれない。

そして、僕の父も僕と同じような状況・感覚なのかもしれない、そう思えるようにもなってきた。

一方で、人に何かを聞くことは、状況によってはできない。

「こんなことを聞いて迷惑・失礼じゃないだろうか」

そういう気持ちの方が先行しがちだからだ。

ちょっと脱線したけど、彼から「友人とは」「人との関係とは」の大切な一部を教えてもらった気がする。

なんとなくだけど。

また少し、前に進める気がする。

この感覚を忘れないようにしたい。

Hiroki a.k.a HIRO
  • Hiroki a.k.a HIRO
  • 40代 / 躁鬱人
    サラリーマン歴15年
    2年前に会社を辞め、京都へ移住。
    NZの旅の途中で語学留学を思い立ち、2023年から語学留学を開始。
    2024年から木彫(Wood Carving)をはじめて、その面白さに気づく。
    現在、京都とネルソンの二拠点生活を目指している。

    興味:Carving(木彫) / 日本の文化(Japanese Culture) / 日本語(Japanese Language) / 京都(Kyoto) / 左京区(Sakyo ku) / 江戸時代(Edo Period) / 旅行(Travel) / 歩くこと(Hiking) / 農のある暮らし/ 環境問題 / 書くこと(Writing) / 音楽(Music) / 漫画(Manga) / アート(Art) / クラフトビール(Craft Beer) / Buddhism / Shintoism

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