行き過ぎた謙遜と。。。自己否定?
「俺なんて」「とんでもない」
日本人は謙虚だ、とよく言われる。
僕はこれまで、かなり自分のことを謙遜していた。
「行き過ぎた謙遜」と言っても良いかもしれない。
自己否定的な気持ちも含まれていたと思うし。
「俺なんて到底及ばないし」的な。
最近思うこと。
「自分は部外者だから」
そういう考え。
つまり、当事者意識がないということ。
「僕はこのグループには属していないから」
これは、「どうせ僕は」的な考え方に近い。
だから、例えば食事とかで会話をしていても、油断して話を聞いておらず、急に話を振られても答えられないこともある。
今はそういう状況になることは少ないけど。
ただ、自分の中で線を引くというか、壁を作る傾向があるのは間違いない気がしている。
ホストファミリーの友達と食事することが何度もあるが、どうしても「僕は他人です」という考えから抜けられない。
ホストマザーは「友達の友達は友達」、つまり僕も彼らの友達だ、ということを言ってくれた。
ただ、そういう感覚がまだよくわからない。
おそらく、自分の中での定義づけみたいなものがある気がする。
「こういう状態が友達」みたいな。
きっとそれは頭で考えていることの気がする。
もっと自然でいい気がする。
楽しいか、心地よいか、そうでないか。
関連して思うこと。
突然話しかけられると焦ってしまう。ドギマギする。状況によってはテンパる。
昨日も道端に犬がいて触っていた時、その場にいないと思っていた飼い主に突然話しかけられて若干焦った。
なんでそんなに驚くのだろう、と考えてみた。
一つの可能性として、冒頭で書いた謙遜があるような気がした。
「僕のことなど誰も興味を持っていない、俺のことなど見ていない」
ちょっと強い感じだけど、きっとこんな気持ち。
だから、予期せず話しかけられると「なんで俺?」的に驚くような気がする。
ただ一方で、「見て欲しい、俺の話を聞いて欲しい」という自分がいることも知っている。
これらの気持ちの間に、何か乖離があるような気がする。
本当は前に出たいのに、後ろに下がる自分、みたいな。
昨日ふと気づいたからこれを書こうと思った。
だけど、気付いたからといって何かをしようとは、今は思っていない。
きっと、自分らしくリラックスして行動できるようになれば、自然と解消というか、気にならない方向に向かっていく気がするから。
今の気づきとして、記録に残しておく。